(Look Back) 中1と小5、現地公立校に編入、突然に学校が閉まるまで


二度目のアメリカ駐在で渡米した2020年1月。
世の中がこんなに根本的に変わってしまうとはつゆほどにも思っていませんでした。。


日本で、娘は中1、息子は小5の三学期を数日通ってから友達に別れを告げ、ひと月前に渡米していた夫の暮らすメリーランド州へ、希望と不安を胸に、引っ越してきました。

バイリンガルの娘はおそらく不安はほとんどなく、早くまたアメリカで暮らしたい、と常々言っていたくらいなので、いろいろな期待に胸を膨らませていたと思います。

一方息子は、自分自身は日本の学校で友達と過ごしていたかったのに、親の都合でまたアメリカへ引越すことになり… 英語も、全くわからないわけではないものの(英検2級に少し足りないくらいの英語力)、授業についていけるかの不安を抱え、、、でもきっと、新しい暮らしへの期待も少しは胸に抱いていた.... そんな複雑な気分での新生活スタートだったと思います。


渡米してきた当時、世の中はまだ通常モードだったので(コロナの影響を受ける直前)、スムーズに学校への転入手続きを終え、ちょうど二学期(セカンドセメスター)がスタートする1月28日から、登校を始めました。
NYとはカットオフデイト(学年切り替えのタイミング)が違っていたため、予想していた学年よりも、二人とも一学年下に入ることになり、娘はGrade7(中学校)、息子はGrade5(小学校の最終学年)後半への編入です。


ここから、学校に通えたのは3月の2週目までの、ほぼ6週間。


息子は、初日こそ「何もわからなかった!!(泣)」とパニックで帰宅したものの、翌日からは自分を取り戻し、1週間後には友達もでき、授業でも困ることはなくなったようでした(ホッ)。





逆にミドルスクール(中学校)に入った娘は、休み時間はひたすらロッカーと次の教室への移動のみ、授業中はほとんど生徒同士の会話がない生活に少なからずショックを受けていたようでした。。
それでも、カフェテリアでのランチタイムはバスが一緒の友達と座り、おしゃべりをしながら過ごせてはいたようです。



娘は学校ではイマイチわくわくしていなかったものの、学校初日よりも先にスタートした、バレエのコンサバトリースクールでの毎日のレッスンが刺激的で、素晴らしい先生方や才能あるクラスメイトに囲まれ、意欲的に過ごしていました。

実は住まいをメリーランドの今の所に決めたのも、娘のバレエスクール選びを考慮してのことでした。
期待に違わず、選んだバレエスクール&コンサバトリーは素晴らしい環境で、日本でもコンクールや公演を励みに日々のレッスンをしていた娘ですが、いよいよプリプロフェッショナルなバレエダンサー生活を満喫することになりました。
(学校に通っていた時期は、放課後のレッスンに週に6回、出席していました。リハーサルのある日は学校を早退し、私が学校からスタジオまで軽食と共に送り届け、夜までレッスンというスケジュールでした。そして夏休みの今は9時〜17時でレッスンです!)


学校に通えていた時期にあったイベントは、バレンタインくらいでしょうか・・・。
5年生はクラスでバレンタインパーティがあり、それぞれ小さな「Valentines」をクラス全員分持っていくのですが、息子は和柄の折り紙で鶴を折って、クラスメイト全員と先生へ宛てて一つ一つメッセージを書いて持って行きました。



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通学を始めて1ヶ月経った頃、3月になると、中国、そして韓国、日本でのコロナウイルスのニュースが入るようになってきました。幸いアジア人差別を受けることなどは私たちはありませんでしたが、なんとなく気まずい雰囲気が漂っていたことを覚えています。


メリーランド州で初の3名の感染者が出たのは3月5日。
そのニュースを含め、学校の対応(この時点では学校はオープン)を伝える連絡は、3月9日にモントゴメリーカウンティの教育庁のようなところ (MCPS) から、一斉メールでありました。(MCPS=Montgomery Couunty Public Schools)

続いての連絡は3月11日、州知事の非常事態宣言を受けて、学校は休校措置をとることが知らされました。この日は水曜日。メールの受信は、息子の習い事(数週間に始めたアイススケート)の送迎時でした。

木曜金曜は登校し(欠席も可)、翌月曜からは2週間の休校という連絡でした。
2週間後、学校運営は再開はしたものの、学校施設は引き続き閉鎖で、てオンラインの試行錯誤の授業のみの再開でした。。。
(小学生は1日30分だけのZoom授業で成績もつけないなど、残念ながら学校の代わりになるものではありませんでしたが、先生方もリモートワークで子供を抱えながら、一生懸命やってくださったと思います)

そして、そのまま6月15日の学年末まで、再び学校に通えることはありませんでした・・・。



新しい生活と学校での6週間は本当にあっという間で、ようやく馴染んできた、友達の名前を覚えてきた、そんなタイミングで学校が突然閉まってしまったのです。


まだ気安く声をかけられる友達がほとんどいない中でのステイホームは、初めのうちは家族時間を楽しめていたものの、長引いていくに連れて、精神的につらくなってくることもありました。。


ステイホーム中のリモート学習の様子など、振り返っての記録をあといくつか、記しておこうと思います。


習い事も学校閉鎖とともにオンラインになったものの、
唯一しばらくの間対面でレッスン提供を続けていた音楽スクール
息子はここともう一つ別の音楽スクールに通っていました
もう一つのスクールはすぐにオンライン対応に切り替えました

できるだけ子どもたちの日常生活を続けさせてあげることと、
安全を第一にすること
全てを取れない中で判断していかなくてはいけない、難しいことですよね
後から振り返ることでしか、何が一番良い選択だったのかはわかりません







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